コスタリカの歴史とコーヒー生産

生産国によるコーヒー生産体制の特色を、その国の歴史を深掘りしながら探っていくシリーズ。
今回はコスタリカです。

基本情報

コスタリカの位置

コスタリカは中米の南寄りに位置する国で、ニカラグア、パナマと接しています。

人口は約500万人で、およそ9割が白人。公用語はスペイン語で首都はサンホセ。軍隊を持たない非武装中立主義で、幸福度の高い国家としても知られています。

それでは、そんなコスタリカの歴史を追っていきましょう。

先史時代

人類がコスタリカに初めて到達したのは、紀元前12000~8000年頃で、ユーラシア大陸からベーリング海を渡り、北米大陸を南下してきたものと見られています。

紀元前2000年ころまでに、狩猟採集生活から農耕定住生活に移行します。

やがて文明は、鉄器こそ発達しなかったものの、高度な石器や翡翠工芸・金細工技術を発達させます。

西暦300~800年にかけてのディキス石器文明期に作られたとみられる多数の「コスタリカの石球」は、99.8%以上の真球率を持つものや0.1mm単位で全く同じ大きさのペアが存在するなど精度が異常に高く、オーパーツとも言われています。

コスタリカの石球

コスタリカの石球

社会は徐々に階層化・分業化が進み、首長を中心としたいくつもの多様な集落が、互いに交流・交易を行いながら存在していました。

スペイン植民地時代

1502年にコロンブスが、東岸のリモンに上陸。
そこで出会った先住民が金細工の装飾品を身に着けているのを見て、この地の豊かさに驚き「Costa(=海岸) Rica(=豊かな)」と呼びはじめたと言われています。

この豊富な資源に魅力を感じたスペインは、中米の本格的な征服に乗り出します。
(結局、中南米の非征服域からは豊富な鉱産資源が得られましたが、コスタリカで大規模な金脈が発見されるのは20世紀以降でした)

スペイン人征服者と先住民の戦いを経て、1574年に植民地首都となるカルタゴが建設され、太平洋岸と中部盆地においてスペイン人支配が確立します。

なおも抵抗を続ける先住民はカリブ海沿岸地域へと逃れますが、戦争の痛手や、スペイン人によって持ち込まれた天然痘やインフルエンザといった病気に対して免疫がなかったこともあり、1500年代初頭には40万人いたその数も1600年代に入る頃には1万人程度へと激減していました。

植民地期にはトウモロコシ、蜂蜜、豆類といった農産物や陶器、毛布、綿糸、真珠、インディゴ等を輸出、工業製品を輸入していました。

先住民人口が大きく減ってしまい、労働力として当てにできなくなったために奴隷制はあまり根付かず、後に輸入されるようになった黒人奴隷も大きくは増えませんでした。

この頃からコスタリカは、白人やメスティソによる自営の産業が中心の社会でした。

中央アメリカ連邦の独立

1700年代末のアメリカ独立やフランス革命を契機に中米にも自由主義思想が流れ込みます。

1808年に本国スペインがフランスに敗れ、ナポレオンの大陸封鎖によって本国とのつながりが絶たれると、中南米のクリオージョ(植民地生まれの白人)たちは、独立へと動き出しました。

1823年に、グァテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグアとともに、中央アメリカ連邦が成立します

しかしこの中米連邦は、自由主義のホンジュラス・エルサルバドルと保守主義のグァテマラの対立などでまとまりが取れず、1838年のホンジュラスの離脱を契機に分解を始めます。

コスタリカも1841年に離脱し、コスタリカ共和国として独立しました。

この頃、首都のサンホセ市では、住民に小規模な農地を与えると同時に、コーヒーの苗を配るという政策が実施されます。

この結果、小規模自営のコーヒー農家が多数生まれ、大規模土地所有者が現れにくい環境ができました。

また、大規模プランテーションでアメリカ向けに大量のコーヒーを供給していたブラジルとの競合を避け、コーヒー市場が未発達だったヨーロッパ向けに、高品質のコーヒー豆を積極的に輸出しました。

起伏が多く、機械を使った大規模生産に向かない→小規模農家の手摘み収穫必須 という地理的条件に、上記のような政策はよく噛み合っており、これによって「小規模・高品質」というコスタリカ流のコーヒー生産体制が確立したのです。

多くのコーヒー生産国ではエリート層は「大規模土地所有者」になりがちですが、大規模農園が作れないコスタリカでは、エリート層は「精製業」を独占することになりました。

これは、収穫されたコーヒーチェリーを農家から買い集め、水洗・乾燥させてコーヒー豆を取り出す工程ですが、コスタリカでは資本家が積極的に水洗設備に投資し、中南米の国々のなかでも早い段階でウォッシュドの生産体制を確立させます。
これも高品質なコーヒー生産に一役買いました。

近代

グアルディアの改革とバナナ導入

1870年のトマス・グアルディア・グティエレス将軍政権の時代に、近代国家への脱皮を目指し

  • 民法・刑法を新たに制定
  • 戸籍の管理
  • 国による義務教育
  • 闘鶏の非合法化
  • 児童労働の禁止

といった改革が実施されました。

また、首都サンホセとカリブ海岸の港街であるリモンへの物流網構築のため、アメリカ人実業家のマイナー・キースの出資を受けて、鉄道敷設が実施されます。

リモンへの鉄道建設自体は1890年まで延び延びになってしまうのですが、労働者たちの安価な食料として導入したバナナ栽培が産業として成長します。

マイナー・キースは後にユナイテッド・フルーツ社を設立、コスタリカはコーヒーとバナナのモノカルチャー経済になっていきました。

恐慌とカルデロンの社会主義的改革

コーヒーとバナナでしばらくは好調の続いたコスタリカ経済ですが、1927年に両者が大きく値崩れを起こし、追い打ちをかけるように1929年には世界恐慌が発生。

政権は最低賃金の保証や大規模公共事業による雇用確保といった手を打ちます。

しかし1939年には第2次世界大戦への突入により、ヨーロッパでのコーヒー需要が激減。コスタリカ経済はさらなる打撃を蒙ります。

労働者たちの社会的な不満が高まるなかで、1940年に大統領となったのが、労働運動出身の政治家ラファエル・カルデロンです。

カルデロンは大衆からの支持を背景に社会主義的な改革を実施。

生活保護や社会保障の充実、労働法の整備といった政策で労働者の生活を守る一方、累進課税と最低賃金制定で資産家の負担を大幅に増やしました。

これに対してエリート層たちは反発しますが、これを政府は暴力で押さえつけます。

1942年に農園実業家のホセ・フィゲーレス・フェレールがラジオに出演して政府を批判すると、国外追放処分となり、メキシコへの亡命を余儀なくされます。

また改善しない生活に対して各地でデモやストライキが発生しますが、政府は軍や警察を動員してそれらを鎮圧していきました。

フェレールの反乱と軍廃止

フェレール

メキシコに亡命していたフェレールは1948年、カリブの外人部隊を率いて蜂起。6週間の戦いの末に政権を奪取し、暫定政権指導者となります。

ここでフェレールは

  • 常設軍の廃止
  • 女性・黒人への参政権付与
  • 軍事予算の教育への転用

といった政策を敢行。ここから「軍隊を持たない国」コスタリカの歩みがスタートします。

もっともこの時点では、軍を捨てたことは平和・中立国家を目指すというよりも、カルデロン派の再興を防ぐ、クーデターやらなにやらで軍部に政治が左右されてしまうのを防ぐ、という狙いが強かったと思われます。

経済構造の変化とアメリカ依存

1950~73年頃まではバナナとコーヒーが牽引する順調な成長を続け、人口は80万人から200万人へと激増しました。

しかし外資系工業の流入で外貨の流出、貿易収支の悪化、さらにオイルショックで、70年代には国家財政は逼迫します。

この状況に対して大国アメリカが、巨額の資金援助と引き換えに

  • 銀行の民営化
  • 市場開放
  • 再軍備

を要求してきます。

このころ中米では東西冷戦の代理戦争のような争いが各地で発生していました。

隣国ニカラグアでは、長らく親米独裁政治を行ってきた政権が、79年にソ連の支援を受けた革命勢力サンディニスタに倒され、東寄りの革命政権が樹立したばかりでした。

これに対してアメリカは、ドミノ理論的に中米に共産主義勢力が拡散することに危機感を抱きます。(とりわけパナマ運河が赤く染まることがまずい)
そこでふたたびニカラグアに新米政権を立てるべく、コスタリカを含む中米周辺国各地でCIAの工作により反革命勢力コントラを組織。各方面から武装蜂起させます。

さらにはコスタリカ国内のコントラに堂々と兵器を供給するため、コスタリカの再軍備と、ニカラグアへの敵対姿勢の明確化を求めました。
(第2次世界大戦後に軍を放棄しながら、朝鮮戦争のために再軍備を求められた日本の状況とも似ていますね)

モンヘ大統領の中立宣言

モンヘ大統領

1982年に大統領に就任したアルベルト・モンヘは、非武装中立の国是が危機にさらされる一方で、破綻状態の財政を立て直すためにアメリカからの援助はなんとしても獲得したいという、非常に難しいバランスでの外交を余儀なくされます。

モンヘ大統領はここで、「永世非武装中立宣言」という宣言を出します。
この内容は

  • コスタリカは「永世」中立国となることを宣言する
  • イデオロギー的には西欧デモクラシーを支持する「積極的中立」である
  • コスタリカは非武装であり、その安全保障は、集団的安全保障を基礎とする

といった趣旨です。
中立と言いながら結局アメリカの子分のようにも見える、絶妙なバランス感覚のような、分かったような分からないような宣言です。

さらにモンヘはこれを、法的権限のない単なる「大統領の宣言」という形で出し、さらに「国民アンケート」で大多数の国民の賛成を獲得します。

アメリカはこの宣言を無視し、大量の武器をコスタリカに持ち込み警察を武装させ、さらにマスコミを抱き込んで反共プロパガンダを発したり、資本家を煽ってストライキをちらつかせてモンヘに退陣を迫ったりします。
しかし明らかにコスタリカ民衆の意志に沿わない形で進められているこれらの動きに対して、反対運動も激化しました。

アリアス大統領の平和主義

4年ごとの大統領選ですが、1986年はこのような極度の緊張状態のなかで実施されました。

野党候補のカルデロン(元大統領の息子)は、ニカラグアとの戦争に協力し、アメリカから支援を引き出して経済を再興させることを公約に掲げます。

対する与党のオスカル・アリアス・サンチェス候補は、中立を維持し、中米紛争を話し合いで解決し、疲弊した国内にまずは平和をもたらすことを掲げました。

アリアス大統領

アメリカの資金援助は喉から手が出るほど欲しい状況でしたが、コスタリカ国民は僅差ながらアリアスを大統領に選びました。

アリアス大統領は、CIAがコスタリカ国内に構えていた基地を閉鎖し、これ以上のコントラ活動を許さないことを宣言します。

折しもアメリカではイラン・コントラ事件(国交断絶したはずのイランに極秘裏に武器を輸出し、その売上から中米のコントラに資金援助していたことが明らかになったスキャンダル)が発覚し、レーガン大統領とブッシュ副大統領への支持は急落。
世論の反発を受けて、アメリカによるコントラ支援は急速に勢いを失います。

さらにアリアスは、87年にグァテマラで開催された中南米諸国大統領会談で、中米和平合意案を提案。ニカラグアはこれを受け入れ、コントラ戦争は終結へと向かいます。

現在まで

以降、コスタリカは中立国・民主主義国家として現在までやってきています。

いったんは警察が武装化したり、イラク戦争への支持を表明した大統領を大学生が訴えて違憲判決が下るなどの紆余曲折ももちろんあったようですが、

  • 国内に大きな民族対立が無く、内戦の芽が薄い
  • アメリカが仲間
  • アメリカ以外の軍事大国が近くに無い

という条件あってのものだとも思いますが、上の2つは日本にも共通するもので、いろいろ考えさせられます。

コーヒー生産に関しては、相変わらず「小規模・高品質」のスタイルが根付いていますが、20世紀末頃から「ハニープロセス」「マイクロミル」という2つの動きが生まれています。

「ハニープロセス」とは、コーヒーの種子のまわりの「ミューシレージ」を洗い流さずに乾燥させる方法です。
大量の廃水を出す従来の「ウォッシュド」よりも環境負荷が少なく、独特の甘い風味も得られる製法として採用が進んでいます。
くわしい解説記事はこちら。

【ナチュラル/ウォッシュドとは】コーヒーの精製方法を分かりやすく解説
【ナチュラル/ウォッシュドとは】コーヒーの精製方法を分かりやすく解説
ナチュラル、ウォッシュド、ハニー(パルプドナチュラル)、スマトラ式を、どこよりも分かりやすく図示して解説。illy社とコスタリカのハニーに関するウンチクとかも。

「マイクロミル」とは、企業の大規模な加工場にコーヒー果実を卸すのではなく小規模農家がお金を出し合って、自分たちの小規模な加工場を作り、生産者の取り分を増やそうという動きです。

コスタリカではこのように、市民レベルで持続的な社会、持続的なコーヒー生産が強く意識されています。

いちコーヒー屋として微力ではありますが、こういった思想はぜひ広めていきたいですね。

もちろん当店でもコスタリカ産のコーヒーを扱っていますので、ぜひ。

xem決済→https://gorosuke.blue/online-shop
日本円決済→https://nemuriya.base.shop

参照文献

Wikipedia:コスタリカの歴史

Wikipedia:Pre-Columbian_history_of_Costa_Rica

JICA:食文化を通じて知るコスタリカの歴史

RareGoldNuggets.com: Costa Rica Gold Mining History and Current Ban

Wikipedia:軍隊を保有していない国家の一覧

小澤卓也「コーヒーの味は歴史が決める -グローバル・ヒストリー的アプローチ

コスタリカ平和の会:モンセ大統領の永世非武装中立宣言

鈴木頌:コスタリカ小史

JICA:「中米諸国の歴史と現状」

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