カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』のあらすじと魅力

こんにちは。

日系英国人作家のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞されました。おめでとうございます。

というわけで、氏の代表作である『わたしを離さないで』を読んでみました。

率直な感想

おもしろい小説でした。

読みやすく惹きつけられる文章。独特な世界観と、徐々に明かされる謎。
エンターテインメントとして、「続きが気になって」先へ先へと読み進めさせる力を持った作品ながら、人間や、社会のあり方に対する問題提起を含んでおり、
また、「雰囲気に浸る」読み方もできるという純文学的な側面も持つ、実にハイブリッドかつハイクオリティな小説です。

端的に言って、いい小説です!

以下、レビューを書いていきますが、その前に一点、ネタバレについて

著者のイシグロさんは「それが全てじゃないし、別に書評とかでネタバレしてもいいよ」というスタンスらしいのです。

しかし今回私が読んでみた感じとしては、そうは言っても読みながら徐々に分かっていった方が面白いと感じたので、極力ネタバレはしない方向で書いていきます。
従ってあえてボカしながらの書き方になるので、イマイチ分かったような分からないような印象を受けるかもしれませんが、そういうもんですのでヨロシク、お願いします。

あらすじ

舞台は1990年代末のイギリス。

主人公のキャシーは、長いキャリアを持った「介護人」
この「介護人」とは、「提供者」の体調管理や身の周りの世話をする仕事。いずれお呼びが掛かれば、「介護人」の役目を終えて、「提供者」になります。

彼らは学校のような施設で、集団生活をして育ちました。
キャシーや、親友のトミー、ルースらが育った施設は「ヘールシャム」という名で、他の施設とはちょっと違った、特異な施設として介護人や提供者のあいだでは知られていますが、現在はもう閉鎖されてしまいました。

物語の大半は、キャシーの回想です。

第1部

ヘールシャムで過ごした少年時代。
日本の学校制度で言えば、小学校〜中学校くらいの期間でしょうか。
女子の中心人物だったルース・癇癪持ちのトミーとの友情。近寄りがたい雰囲気のエミリ先生。生徒の作品から出来のいいものを選んで持って行く「マダム」。
絵を描き、詩をつくることを奨励する、不思議なヘールシャムの教育方針。
絵が描けないトミーと、「無理して描くことはない」と言ってくれたルーシー先生。

みずみずしさに溢れた少年時代を懐かしく思い出しながらも、彼らが生まれ落ちた世界に対するいくつもの謎が提示されます。

第2部

ヘールシャムを卒業したキャシーらは、何人かのグループごとに当てがわれた場へと、生活を移します。
キャシー・トミー・ルースらが赴いた寒村の「コテージ」では、何人かの先輩や同期と共同生活を送り、基本的には自由に、レポートを書いたり、散歩をしたりして過ごします。

やがて同じコテージで暮らしていた先輩や同期が「提供者」又は「介護人」としての任に就くことになり、一人また一人と、コテージを去って行きます。

ある日彼らは、違う施設出身の先輩から「ヘールシャム出身の生徒は、提供者になるのを猶予してもらえる方法がある」という噂を聞きます。
しかしキャシー・トミー・ルースの関係は徐々にぎくしゃくし始め、キャシーは、「介護人」の訓練を受けることを志願し、3人のなかでは最初にコテージを去ります。

第3部

介護人として優れた実績を残していたキャシーにはやがて、介護する対象者を選べる特権が与えられました。
キャシーは、すでに提供者となっていたルースそして、トミーの介護人となることを選びます。
3人の間にあったわだかまりは解け、彼らは平穏で心の通い合った日々を送ります。

そんななか、一足早く自分の体が提供者としての「使命を終える」日が近づきつつあることを予感していたルースは、キャシーとトミーが「猶予」を得られるようにと、密かに調べていたマダムの住所を二人に託します。

『わたしを離さないで』の魅力

青春時代の描写が秀逸

キャシーが懐かしく思い出す青春時代、とりわけヘールシャムでの少年時代の描写が、じつに瑞々しく、魅力的です。

本作は、彼らが「提供者」として生を受けたことに関する、重苦しいテーマを背負った小説ですが、仮にその辺の要素をごっそり省いてしまって、彼らの学校生活だけを描いた小説にしてしまっても、充分面白いです。

展示館が架空のことだったとしても、マダムの来訪は確固たる事実でした。たいていは年に二度、ときには三度も四度も来て、わたしたちの作品から出来のいいものだけを選んでいきました。「マダム」という呼び方は、フランス人かベルギー人だという噂があったからですが、(いったいどちらなのか、生徒間で大論争になりました)、保護官もいつもそう呼んでいました。背が高く、ほっそりして、ショートヘア。おそらく、とても若かったはずですが、当時は誰もマダムを若い女性などと考えませんでした。

「マダム」に関する、最初の記述です。

子供たちのあいだで、噂が共通認識になっていく様子がとてもリアルです。
「フランス人かベルギー人」なんていう根拠のない思い込みが、みんなのあいだでいつのまにか権威を持ってしまう感じ、「あるある」と頷いてしまいます。

雰囲気が独特

本作に漂っている雰囲気。
そのひとつは、上に挙げた瑞々しいフレッシュさです。

しかしながら同時にもうひとつ常に漂っている空気感があります。
それは、曇り空のようなどんよりとしたアンニュイさ。諦念。無力感。

ふたつの要素がゆったりと混ざり合い、なんともいえない独特の空気感を醸し出しています。

そして何より独特なのは、このふたつが交互に現れるわけではなく、常に、同時に、両者が存在しているところ。
急展開や起承転結もあるわけでなく、初めから終わりまで、徹頭徹尾、このふたつの雰囲気の混合体が空気を支配しています。

伝わるかどうか自信がありませんが、序盤のあるシーンを引用してみましょう。
ドーセット出身のある提供者の介護人になっていたキャシーは、ヘールシャムではどんな生活を送っていたのか聞かせてくれるよう、せがまれます。

チューブにつながれて横になったまま、その人はときおり穏やかな笑みを浮かべて聞いていました。保護官のこと、生徒一人一人がベッドの下に置いていた宝箱のこと、サッカーやラウンダーズの試合、本館をぐるりと巡る散歩道、その小道から忍んでいける建物の窪みや陰、アヒルの泳ぐ池、食事のこと、霧の朝に美術室から見えた野原の景色……。同じことを何度も訊かれました。「体育館はあったのか」「君のお気に入りの保護官は?」昨日話したばっかりなのに、なぜか初めてのことのようにまた聞きたがるのです。最初は薬のせいかと思いました。でも、違います。頭ははっきりしていましたから。あの人は、きっとヘールシャムのことをただ聞くだけでは満足できず、自分のこととしてーー自分の子供時代のこととしてーー「思い出したかった」のだと思います。

こんな感じです。
誠実で、決して嘘は無いながらも、一歩引いたような抑制の効いたキャシーの口調。
ほんとに、こんな勢いで始まって、こんな勢いで終わります。

重ーいテーマを持った小説ながら、さりげなーく始まってふんわり消えていくこの感じ。
イシグロ氏のこのやり方に、粋というか、ある種の美意識を感じないことも無いですが、でもやっぱり「何なのよ」とも思います。
引っかかりどころが無いだけになおさら引っかかる、このなんともいえない感じ。

謎解きのテンポが独特

小説を読んでいて拍手を送りたくなる謎解きというのは、たいていが、終盤に明かされる衝撃の事実でびっくり仰天! 同時に積み上がっていた謎が一気に氷解! 鮮やか、お見事! ってやつですよね。

しかしハッキリ言って、『わたしを離さないで』の謎解きに、その種の鮮やかさは皆無です

実にチビリチビリと小出し。
それも徹底してさりげなく、じんわりと答えは提示されます。

それどころか、明確に説明がなされないままにも、いつと言うこともなく謎が解けてしまっているケースもあります。
我々読者が「ああ、たぶんそういうことなのね」と推測しながら読んでいると、それがいつの間にか自明の事実になってしまっているのです。

もっと言うと、その「答え」自体がまた、びっくり仰天とはお世辞にも言えない「ああ、そうなんですか」という程度の、想像の範囲内の事実だったりします。

まあ、そういう意外性・鮮やかさを期待するようなもんではないです。

『わたしを離さないで』の謎は、2タイプある。

大きく分けて、『わたしを離さないで』に登場する謎は、2種類に分類することができます。

1.読者だけが知らない謎

これは、語り手のキャシーを始めとした登場人物たちにとっては自明ですが、我々読者に対しては説明が無いため、想像しながら読むしかない、というタイプです。
例を出すと

・「介護人」「提供者」とは何? 「提供」とは何?
・ヘールシャムはなぜ他の施設と比べて特別視されるの?

といったものですね。

2.読者も登場人物も知らない謎

これらはキャシー達も事実を知らないもの。特に終盤は、キャシーとトミーがこの謎の真実を追う展開になります。

・マダムは何者? 絵を持ち去る目的は何?
・「提供」猶予制度は本当に存在するのか?
・ルーシー先生が「絵を描かなくても良い」と言った真意は?

といったものです。

あるときトミーはこんなことを言います。
ヘールシャムでは生徒に対して、彼らが「提供者」であることについて、どの段階でどの程度の説明をするか、全部計算されていたんじゃないだろうか。
ほんとうに理解できるようになる少し前に教えておく。
だから、教わった瞬間には理解できないので反発もない。理解できるようになった頃には「そんな事、とっくに知ってる」事なので、やはり反発は起こらない。

それに対しキャシーは、こんなことを考えます。

確かに、わたしはずっと以前からーーもう六、七歳の頃からーーぼんやりとですが、提供のことを知っていたような気がします。成長して、保護官からいろいろなことを知らされたとき、そのどれにも驚かなかったのはなぜか。言われてみれば不思議です。以前どこかで聞いた気がするということばかりでした。

じつはこの「以前どこかで聞いた気がする」感覚は読み手の感覚と奇妙にリンクしています。

さきほど挙げた 1.読者だけが知らない謎 について、例えば「提供者」について、
「提供者とは・・・」なんていう説明は作中に一切ありません。
だから読み手は、初めは「提供者って何?」としか思えません。
しかしやがて、断片的な「提供者」に関する記述がふたつみっつと登場するにつれて「もしかしてアレのことかな?」という推測ができるようになってきます。
で、結局「提供者」の素性が明らかになったときには、もう読み手は「そんなこと知ってる」段階にいて、別に驚くようなこともない。

それで、このへんの1.読者だけが知らない謎 があらかた解けてきて、読者がキャシー達に追いついてきますよね。

すると、2.読者も登場人物も知らない謎 を明らかにしていく段階に入るわけですが、コレがまたさっきとまったく同じ構造。
読者そしてキャシーやトミーが考える「もしかして」が、徐々に徐々にハッキリとした輪郭をまとい、気が付いたら驚く間もなく事実になってしまうのです。

この感じ、じつに新感覚です。

鮮やかさ、してやられた感、カタルシスはまあ、無いんですが、でも決して悪くないですこの感じ。

まとめ

いろいろと新感覚な小説でした。

・フレッシュな青春時代の描写
・瑞々しさとアンニュイさの入り混じった雰囲気
・独特すぎるテンポの謎解き

このへんが本作の独自性で、味わい深い部分だと思います。

まあしかし、小難しいことは抜きにしても、とても読みやすく、面白い小説です。
またメインテーマは重いですが明快で、分かりにくいってことは無いです。

読んでみて損はしない作品だと思います。

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