【バーベル文学賞アワード2017】人生が変わる、本当におすすめの名作小説10選

こんにちは。元・文芸部です。

今年もバーベル文学賞アワードの季節がやって来ました。

「素晴らしいコンテンツを紹介し、人類を幸せにする」
という、当ブログのミッション実現のために設立されたバーベル文学賞も、今年で記念すべき1年目となります。

本記事では、私がぜひ皆様にご紹介したい、10編の小説を、ご紹介します。
ただ単に読んで面白いだけではない、人生観が変わるくらいのパワーを持った作品ばかりです。

それでは、どうぞ。

受賞作

第10位 中勘助『銀の匙』

虚弱で臆病な主人公の、幼少期からの成長を描いた物語。

似たようなコンセプトの小説は無数にあるでしょうが、本作が他の小説と一線を画しているのは、その繊細なタッチです。
主人公の気弱さがうまい具合に作用して、本当に子供の小さい手、弱い力で触れるような、そんな独特の感触を持った文章なのです。

私はからだじゅうのふきでものをかゆがって夜も昼もおちおち眠らないもので糠袋へ小豆を包んで母と伯母とがかわるがわる瘡蓋のうえをたたいてくれると小鼻をひこつかせてさも気持ちよさそうにしたという。

また、「大人が、昔を思い出して語っている」感じが極端に薄いところも特徴です。
そうではなく、本当に子供が現在の目線で見ているかのような書き方なのです。

たくさんのおもちゃのなかでいちばんだいじだったのは表の溝から拾いあげた黒ぬりの土製の小犬で、その顔がなんとなく私にやさしいもののように思われた。伯母さんはそれをお犬様だといって、あき箱やなにかでこしらえたお宮のなかにすえて拝んでみせたりした。それからあのぶきっちょな丑紅の牛も大切であった。これらは世界にたった二人の仲よしのお友だちである。

こんな感じ。

読み手も、家族から可愛がられることだけが頼りだった子供の頃に戻ったような、
なつかしい気持ちで味わえる小説です。

第9位 森見登美彦『有頂天家族』

『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』
が有名な作者ですが、私がオススメしたいのはこちらの作品。

例によって京都を舞台とした話で、
主人公は糺ノ森を住処とするタヌキの一家の三男坊、
いいかげんな性格ながら「化ける」能力は突出している下鴨矢三郎。

タヌキ界の権力争いを縦糸としながら
京都にうごめく狸・天狗・人間が絡まり合って三つどもえ。

カエルに化けたまま戻れなくなった次男の「矢二郎」
落ちぶれてもプライドは高い天狗の「赤玉先生」
人間でありながら天狗の力を身につけた「弁天」
狸鍋を食べるのが伝統の文化人集団「金曜倶楽部」
狸界でよく飲まれる密造酒「偽電気ブラン」
といったやりたい放題に個性的な人物・概念が目白押し。
ごっちゃごちゃの世界観です。

第8位 アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

漁師の老人が、大物のカジキマグロを釣りあげるべく格闘する話。

一瞬の派手な勝負なのかと思っていたら、そうじゃありませんでした。

大物が掛かったという手応えからしばらくは、獲物は海中深くを泳いでいて姿も見せない。
一度相手が水面上に飛び上がり、姿を確認するもふたたび深く潜って行ってしまう。

すぐに引き上げるのは困難なので相手が疲れるのを待つが、相手は老人の小さな船を引っ張りながらグイグイと遠洋へ泳いでいきます。

老人は、マグロに引っ張られること三日三晩。
別に釣り上げたシイラやトビウオをさばいて食べて、空腹をしのぎます。
「塩を持ってくれば良かった」などとつぶやきながら。

海上にひとりぼっちの老人は、
自分のひきつった左手に「しっかりしろ」と話しかけ、
舳先にとまったカモメに「疲れたか? ゆっくりしていけ」と話しかけ、
以前手伝いをしてくれた少年を思い出し「あの子がいればなあ」
と、ぼやきます。

孤独で、気が遠くなる戦いを続ける老人ですが、
不思議なほどに前向きです。

何も無い海の上で、
すばらしい好敵手がいて、
ただ「生きる」ために力と知恵を振り絞っている。
その充実感がいっぱいに溢れています。

漁から帰り、疲れ果てた老人は深く眠り込み、
ライオンの夢を見ます。

男臭く、余計なものは何も無い。
体ひとつのロマンを描いた作品です。

第7位 川端康成『雪国』

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
この書き出しを知らない人はいませんね。

「春はあけぼの」「吾輩は猫である」「メロスは激怒した」あたりと並んで、
屈指の書き出しだと思います。

さて、この小説の魅力を書くとなると、
「表現がきれい」
この一言に尽きます。ひたすらこの一点突破です。

一芸で保っているどころか、
それでノーベル文学賞までもらっちゃうんだから、スサマジイです。

もう、どうやってもキレイでしかないし、
それ以外のものである必要もない、そんな小説です。

第6位 安部公房『箱男』

安部公房を「あべの こうぼう」と読む人がたまに居ますが、
陰陽師じゃありませんから。
むしろ理系の、シュールな小説家です。

ちょっと取っつきにくいイメージもありますが
この『箱男』と『第四間氷期』『箱船さくら丸』あたりは
めちゃくちゃ読みやすいですよ。

「箱男」とは、段ボール箱をかぶった浮浪者のこと。

たとえば、君にしたところで、まだ箱男の噂を耳にしたことはないはずだ。べつにぼくの噂である必要はない。箱男はぼく一人というわけではないからだ。統計があるわけではないが、全国各地にかなりの数の箱男が身をひそめているらしい痕跡がある。そのくせどこかで箱男が話題にされたという話は、まだ聞いたこともない。どうやら世間は、箱男について、固く口をつぐんだままにしておくつもりらしいのだ。

とある地方の町で箱男をしていた彼は、立ち小便中に空気銃で撃たれる。

すれ違いざまに「坂の上に病院があるわよ」と教えてくれた女はその病院の看護婦で、彼を撃った男は医者だった。

そして彼は医者から、「箱を5万円で私に譲って、箱男をやめてくれ」と持ちかけられる。

その取引に不穏なものを感じた彼は、箱の中で証拠品としてノートに事の経緯を書き連ねるが・・・

ひとつ扉が開くたびに、彼のノートの中で物語は内側に畳み込まれていく。何もかもが逆説的な、ありえない感覚の小説です。

第5位 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』

たまに人に紹介すると
「それってエロいやつでしょ」と言われることがあるんですが
それは『チャタレイ夫人の恋人』です。

政治家夫人のクラリッサ・ダロウェイが家でパーティーを開く一日の様子を「意識の流れ」の手法でゆっくりと描写した作品。

この「意識の流れ」の手法というのは、

クラリッサが歩いていたとき、それを見ていたAはこんなことを考えていて、同時に別の場所で、Aの友人のBはCのことを思い出していて・・・

というように、人物の「思考」を追うことによって文章が繋がっていくような形式のこと。

クラリッサも友人たちも、けっこういい歳なので何か考えるたびに、やたら過去のことや、人のことを思い出します。

すれ違った人がかぶっていた帽子のことや、車の警笛の音など、些細なことから記憶の扉があふれ、もくもくとイメージが膨らんでいきます。

ロンドンの、気持ちのいい5月のある一日。
なんでもなく過ぎていく一日のようでもこんなにも目に見えないドラマがあるのかと、人生の奥深さを感じさせられる小説です。

第4位 伊坂幸太郎『魔王』

若く、カリスマ的魅力を持った政治家「犬養舜二」
明確なビジョンを提示し、米国や中国に対して毅然とした態度を貫く彼に、国民は心酔し、ひとつになってゆく。

しかしこの流れに違和感を持っているのが、ごく普通の会社員で、主人公である「安藤」。

彼は自分が、他人の言葉を操る超能力を持っていることに気づきます。そしてその能力を「腹話術」と名付け、ファシズム化していく日本の流れと戦おうと試みます。

伊坂氏の「モヤモヤ期」と言われる時期の作品です。

デビュー以来の伊坂氏の作品は終盤で伏線を一気に回収して、鮮やかに決着をつけるのが持ち味でした。

しかし『ゴールデンスランバー』やこの『魔王』あたりから、明確な決着をつけない結末だったり、どっちが善でどっちが悪かハッキリしない、「モヤモヤ」した作品を書き始めます。

この『魔王』に関しては、敵役である犬養がもう死ぬほどに格好良いです。

汚職や不祥事、選挙の敗北、それらの責任で辞任した首相はいるが、国の未来への道筋を誤った、と辞任した首相はいない。なぜだ? 選挙で敗北して辞任はしても、それ以外では、辞めない。誰も誤っていないのか? 未来への道筋はいつも正しいのか? 政治家はなぜ、責任を取らない。国民はもう諦めているんだろう。若者は敏感だから、顕著だ。政治家が深刻な顔を作り、何か大義名分を掲げても、どうせ嘘なんだろ、と思っている。規制緩和を行うと言っても、どうせ小手先のことだけなんだろ、と期待もしていない。無駄な国の機関を廃止すると計画が上がっても、既得権益を失いたくない何者かがそれを阻むだろう、と知っている。政治家が必死に考えているのは、政治以外のことだと見限っているわけだ。私は訊きたいのだが、それが正しい国のあり方か。私なら5年で立て直す。無理だったら、首をはねろ。

国家に騙されるな。私は、善と悪について、嘘をつかずに国民に説明をする。嘘で作った橋の向こうに未来はない。こうも言える。今までの政治家は、国民の意見や迷信、流行に奉仕してきた。真理に奉仕してきたのではない。政治家は、未来に奉仕すべきではないか。私は、国民に迎合するつもりはない。なぜなら、それでは未来は築けないからだ。

本当に読んでいて痛快なくらいに格好いい犬養。おそらく犬養自身、演技ではなくて本当に信念を持って動いています。

それに対して安藤も、思いやりと自分なりの信念を持って行動を起こしますが、結局力及ばずに終わります。

どうです? モヤモヤするでしょ?

安藤の死後、弟の潤也と恋人の詩織は、東京を離れ、ニュースを遠ざけ、仙台で静かな暮らしを送ります。

何ですかこの結末。モヤモヤするでしょ?

実はこの話には『モダンタイムス』という続編があり、『魔王』の50年後の世界で、やはり腹話術を持った主人公が権力に立ち向かいます。

こちらは非常にスリリングな作品で、いちおうのハッピーエンドにつながります。
そういう意味では続編でやっとモヤモヤを脱する訳ですが。

『モダンタイムス』を読んでみて改めて思うのは『魔王』の、じっとりとした沼のようなモヤモヤ感は唯一無二の魅力だったのだということ。

ゆっくりとしか進まないストーリーの中で、どっちが正しいのか? どうするのが正しいのか?安藤と一緒になって考えること。

それこそが、この小説の味わい方なのだということ。

奇しくも「考えろ考えろ」というのが安藤の口癖です。

単なる受け手になるのではなく、一緒になって「考える」ことで、我々読み手の時間は活性化します。

考えても、すぐに答えは出ません。この小説の中でも、答えは出ません。だからモヤモヤが残るのです。

我々読み手を「考えろ」と一喝して、目を覚まさせる。

で、目を覚まさせるだけ覚まして、そのままどっか行っちゃう。
そんな小説です。

第3位 赤瀬川隼『球は転々宇宙間』

野球大好きな作者による、
野球でのユートピア実現を描いた、虫のいい小説。

都市圏に集中しているプロ野球チームを解体し、3リーグ18チームを各地方に点在させるというプロ野球界の解体再編を通して、地方が元気になるというお話。

1984年に書かれた小説ながら、都心一極集中と地方の空洞化、デカいシステムに操られ画一化する生き方への違和感という問題意識は、現代に通じるものがあります。

むしろ「まだ東京で消耗してるの?」という空気が徐々に大きくなってきている今こそ、読まれるべき本だという気がします。

また野球再編実現後の、元気になった日本の描き方も、現代の視点から見ても魅力的なところがすごい。

野球少年たちの夢は、地元の高校や大学を出て、地元のプロチームに入ること。

ホームの試合はテレビ中継しないので球場に行って見る。アウェイの試合は、地元テレビ局が中継する。

第1次産業の手伝いで鍛えた肉体を持つ、北海道・仙台・熊本のチームが強豪。

ドーム球場が持てるのは豪雪地帯のチームに限る。

夏休みの平日にあえてデイゲームを組む。メインの客層は、ナイターが終わるまで起きていられない子供。

プロ選手はオフシーズンに農作業で体を鍛える。

再編後に発足するチームは、
札幌ベアーズ・仙台ダンディーズ・浦和キッズ・東京ジャイアンツ・横浜アンカーズ・千葉フィッシャーメン・静岡パシフィック・長野アルプス・名古屋グランパス・京都エンペラーズ・大阪タイガース・神戸マリナーズ・奈良テンプルズ・岡山モモタローズ・広島ドリンカーズ・高松パイレーツ・博多ドンタクス・熊本モッコス
の、計18チーム。

こうやって見ているだけでもワクワクしますね。

東京ジャイアンツと大阪タイガースは経営母体は変わっていますが、伝統ある名前を残した例。

Jリーグ発足以前に書かれた本なので、「名古屋グランパス」「浦和キッズ」なんて名前があるのもご愛嬌。

第2位 夏目漱石『吾輩は猫である』

ご存知、日本の近代小説を代表する名作です。

中学教師の「苦沙味先生」の家に居着いた「猫」の視点で、当時の人々の言動を描き出しては「人間ってバカだね」とため息をつく。そんな話。

端的に言えば「日常系コメディ」なんですが、それぞれのエピソードの面白さが単純にハイクオリティです。

シイタケを食べて前歯が欠けてみたり、枕元に置いてあった山芋を泥棒が持って行ってしまったり、大学で「どんぐりのスタビリチー」を研究していたり、気狂いから届いた手紙を深読みして感銘を受けてみたり。

みんな、至極マジメな顔してこんなことをやってる。

それを一歩引いた「猫」の視点で見ると「人間ってバカだね」となるわけですが、

その猫にしたところで、
カラスに意地悪されたり、
餅を食べてみたら取れなくなったり、
ビールを舐めて酔っ払って水瓶に落ちる・・・
と、人間に劣らずマヌケ。

結局全員マヌケな話なんですが、だから世の中ダメなんだという話ではなくて、「みんなバカだけど、それでいいじゃん」というスタンスです。

ダメなものをダメなままに愛する、愛にあふれた小説です。

第1位 太宰治『お伽草子』

『人間失格』でも『富嶽百景』でも『津軽』でもなく、
この『お伽草子』がいちばん好きです。

太宰の作品群の中で、最も笑えて、そして最も奥深いのがこの『お伽草子』です。

内容は、こぶ取り爺さん、浦島太郎、カチカチ山、舌切り雀という4つの昔話をユーモアたっぷりにアレンジしながら、「この話の教訓は何だったのか」という核心についても触れようと試みるもの。

とにかく太宰の人物造形の手腕が見事です。

「よろこんでくれ! おれは命拾いをしたぞ。爺さんの留守をねらって、あの婆さんを、えい、とばかりにやっつけて逃げて来た。おれは運の強い男さ。」と得意満面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
兎はぴょんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といったような顔つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いじゃないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかったの?」

これは「カチカチ山」の一幕。
狸はドジで不細工で空気の読めない中年男、兎はおっさんに冷たい美少女。

昔話にはたいてい「ストーリー」しか無いものですが、こういった人物造形があるおかげで、一気にコミカルで厚みのある話になります。

また、題材となった話が持つ「ツッコミどころ」に対する
太宰の「ネタばらし」が、非常に核心をついていて、考えさせられる内容です。

乙姫は、浦島太郎に玉手箱を持たせて、何がしたかったのか?
お婆さんに怪我をさせた狸に対する兎の仕返しは、度を越してないか?
いじわるな隣の爺さんは、踊りが下手だっただけで悪いことをした訳じゃない。
なぜコブが増えてバッドエンドなの?

そんな疑問に対する太宰の答えは、鮮やかではないですが、誠実で、とても味わいがあり、深く納得させられるものです。

人情や、人の社会の機微に、あっさりながらも非常に鋭く触れていて、人間ってのは、しょうがないものだ、世の中ってのは、不合理なものだ、というあきらめを抱きながらも、それを含めて生きることを愛する視点がひそかに存在しています。

単なるパロディの皮を被っていながら、この世界に生きることへの圧倒的な肯定を歌った、名作中の名作です。

まとめ

というわけで、第1回の大賞は『お伽草子』でした。

読みやすくも、一筋縄ではいかない深みのある作品を選んだつもりです。
未読の作品があれば、ぜひ手に取ってみてください。
あなたの人生を面白くする「気付き」があるはずです。

ちなみに、村上春樹氏は今回、惜しくも受賞なりませんでした。

それでは、さよなら。

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