立川談志は、結局ドコが面白いのか? その魅力とおすすめ演目

落語会の風雲児、超有名人といえば「立川談志」ですね。
落語を聞こうという人なら避けては通れない噺家です。

しかしながらこの人、聞いてみるとかなりアクが強いのも事実。よく分からずに「結局、談志って何がスゴいの?」と思って検索してみても、語られるのは

立川流創設、落語の定義、真打昇進基準の設定、笑点の創設といった「歴史的意義」や、名言や生き様に関するエピソードなど。

そうじゃなくて、
談志の落語は面白いの?
というところについて、この記事では語っていきます。

結論:談志の落語は面白い

はじめに言ってしまうと、談志はメチャクチャ面白いです。

しかし、理解するのに時間がかかるのも事実。

以下、「このへんに注目して聞くといいよ」というポイントと、「この演目から聞くといいよ」というのをご紹介します。

立川談志の魅力

「軽快さ」がイイ

「語り」の軽快さ

これは特に、若い頃の談志の持ち味ですね。
スイスイと、言葉が言葉を呼んで飛び出してくるような、語りの軽やかさが特長です。

それも流麗で淀みのない営業マンのような語り口というよりはむしろ、思いつくことが次から次へと言葉になる、調子のいいタイコ持ちのような雰囲気ですね。

次に引用するのは「よかちょろ」というネタから。
道楽者の若旦那のところへ、大旦那がお説教をするので来てくれと、番頭が呼びに来るシーンです。

「分かった行くよォ・・・
行って親父に意見をするよ」
「誰が!?」
「俺が。
俺が言うんだトントントンと。いいかい?
立て板に水、いいかい言うよ? ネェ。
アァ倅の言うことも最もだなァと親父は思うんだ当たり前だ。
俺は今の世の中に生きてる若い者だよ。
時代に生きてるんだ、いいかい?
親父なんザもうね、もう遺物みてぇな物だ。
半分モウロクになりかけでもってナ、
棺桶ェ足突っ込んでんだから片足。えェ?
ンなもの言ってることが違ってんなぁ当たり前だ。
若ぇ者の言ってるなぁ間違ぇ無ぇんだナァ?
と言うけどね、倅の言うことも一理どころか二理も三理もあると親父は思うけどね、
ああいう癇の強い親父てェのはね、
俺の言ってることが合ってるか合ってないかよりもね、
親に逆らってこいつは生意気だッて話をこっちへ持ってくんだ嫌だねェ〜
エ? 手がにゅっと伸びるってェとそこに銀の延べの煙管がある。
コイツへ手が掛かるとなると間髪を入れず、
剣道六段てんで、剣道やってるってェのは嫌だね・・・

というような具合で、このテンポの良さがとにかく気持ちがいいです。

ちなみに「剣道六段」というのは談志の師匠の柳家小さんのことで、ドサクサでこんなこと言っちゃうのがまた、オチャメです。

若い頃の談志と、小さん

人柄の軽快さ

また語り口に加えて人柄も、調子が良くて軽いところがあります。

正蔵師匠が怒ってたなんて話があるんで
早速謝りに行ってね。
相手が怒ってるとすぐ謝っちまうダラシが無いんだこっちは。

なんて事を本人も言ってたりします。

といってゴマすり野郎なのかというと、とんでもない。「小さん師匠は下手だね」なんてことを平気で言っちゃう、軽率さがあります。で、怒られたらすぐに謝っちゃう。

もしかしてこの人はバカなのか? と疑ってしまいそうになります。
しかし、よく考えてみるとこの迂闊さ、落語に出てくる人物とよく似てるんですね。

「大家のデコボコのところ行って聞いてみようと思って」と、当の大家さんの目の前で言ってみたり。賽銭箱に財布ごと投げ入れてしまって「お釣りは出ないんですか?」と聞いてみたり。雨の中、傘を借りに来て間違えてホウキを持って行っちゃったり。

そんなワケないだろう、というそれくらいオーバーかつ単純な笑いというのが落語の笑いなわけですが、

それを地で行ってしまうのが談志なのです。(もしかしたら敢えて、狙ってやっているのかもしれませんが)
いずれにせよ、噺のウマさプラス、談志自身の体から「江戸」の軽やかな風が発散されていて、非常に粋な空気感を醸し出す人なのです。

「俺理論」が面白い

談志の話の中では、落語について、落語界について、世の中について、「談志が思っている事」がポンポン飛び出します。

またそのタイミングも問いません。マクラはもちろん、噺の途中であっても気にしません。熊さん八っつぁん与太郎のあいだに、談志が平気で顔を出します。

で、そこで言っていること自体が破天荒ながら意外に的を射ていて、「確かにな」と頷いてしまうことだったりします。
「安心してボケられる国づくりを進めなくちゃいけない。こんな問題提起している落語家が他にどこにいる?」
とか。
「金持ちは人と違うことをできるから面白い。貧乏人には貧乏人の生活の良さがある。貧乏人が金持ちの真似をしたがるから誰も面白くなくなる」
とか。

私が特に好きなのが、大学の裏口入学に関する師匠の意見。

学校の、当局がもう営利団体なんだもん。
そんな所でも肩書きが欲しくって入りにいきたい奴は、
どんどん金をぶったくりゃいいんだよ。
堂々と金持ってきた奴から順に入れりゃぁ良い。
試験なんか全部領収書置いといて受けたい奴は金払って。
だから裏口が表口になるのね。
それじゃあ学校の良心がどこに行ったと言われた時に、
「裏口入学」を作るの。
頭の良い奴にそっと、
「お前、頭良いからお前だけ特別に学校入れてやるから。
こっちから奨学金をやるからお前、ちゃんとやれ」
ってなもんで。これ裏口入学にすりゃいい。

なんていうので、よく考えればとんでもない事を言っているんですが、つい「そうかもな」と頷いてしまいます。

談志ファンは「落語でなくて、談志を聞きに行く」なんて言ったそうです。

その言葉の通り、談志の考えに触れるのが「談志を聞く」大きな魅力であります。

晩年の芸風は賛否両論?

芸風の変化

落語の「現代」に対する危機感や、講談・漫談もこなす芸域の広さもあって、晩年の談志の高座は「自分が喋りたいことを喋る」度合いが増し、もはや落語ではない感があります。

これを嫌う落語ファンが多いのも事実です。かくいう私も、晩年の録音から先に聞いてしまい、「これはイロモノじゃないか?」と感じたのを覚えています。

立川流創設が契機?

これに対し、落語協会にいる間は良かったが立川流の家元となって、叱ってくれる人がいなくなったので好き勝手やってしまった、という見方もあります。

しかし私としては、純粋に「落語の未来」を考えてのことだと思いたいですね。

そもそも談志は、「落語はこのままでいいのか」「時代に合わせて変化するべきでないか」という問題意識を強く持っている人物でした。

そんな中で、正統派の落語を保っていける人物としては、古今亭志ん朝が存在します。
それであれば、正統派は志ん朝に任せて、自分は新しい形を模索するべきだと考えたのではないでしょうか。

もはや「自分の芸の完成」よりも一段広い大局を見て、落語会全体の底上げを図る目線が、当時の談志にはあったのだと思います。

そして、その成果として、談志の直弟子から立川志の輔、立川談春、立川志らくといった、現役世代の一線級が生まれています。

おすすめ演目

それで、何から聞くべき? という話ですが、初期・後期で芸風の違があることは事実です。ぜひ自分の好みに合ったものから聞き始めたいものです。

下で挙げている演目のうち、「源平盛衰記」が、イリュージョンを楽しめる後期のネタ、「五貫裁き」「へっつい幽霊」が、江戸の風を感じる若い時期の演目です。

源平盛衰記

祇園精舎の鐘の音・・・
平家物語の粗筋を語りながら、要所要所で脱線し、時事ネタや小噺を散りばめるという変な演目。

先輩の林家三平から教わったネタということですが、談志のバージョンはさらに縦横無尽です。

歴史の新解釈を試み、NHKを批判し、ガマの油売りの口上を英語で語り、北方領土とシャケの返還を訴える。まさに全編イリュージョン。家元にしかできない一席。

北面の侍、遠藤武者盛遠というのが惚れたんだ。袈裟という女に。
「オイどうだい? けさ、今晩・・・
俺と、一丁寝ようよ」
「嫌だよォ。駄目だよ亭主がいるんだから」
「亭主なんかいいじゃねェか。
いくらも周りでやってんじゃねぇか」
「そうだけどアタシは駄目なの。そういうこと出来ないんだ」
「嫌か?」
「嫌じゃないけどサァ、じゃあ亭主殺しちゃっとくれよ。
そんなら、居ないんならアタシゃ気持ちがアレだから、寝るよ」
てなもんだろ? そういうことなんだ。
で、月が出てくる時刻、
長谷川一夫が忍び込んできて、夫の渡辺航をザックリ殺ったワケだ。
殺ったらなんと、これがつまり、袈裟御前だったというワケだなぁ。
落語にもあるが落語の方はザクッとやると血のりが付かずにオマンマ粒がべったり。
しまった今朝の御膳が・・・ってコウなんだな。

いつか平家を潰そうというんで着々と案を練った。
潰してやろうてンでアンを練った、つぶし餡の元祖だコイツぁね。
一人じゃダメだからスポンサーを付けろ、北条一家を丸め込んだ。
それだけじゃダメだから血縁関係こしらえちゃえ、
娘の政子てェ気の強い嫌な女、これと一緒ンなっちゃった。
結婚も事業の一部なり。親が良けりゃあなんとかなるってんで、
小沢征爾と同じようなこと考えてね、
・・・俺は表現が適切だから人に嫌われる。

五貫裁き

道楽者の八五郎が、心を入れ替えて商売を始めようと言うので大家さんのところに相談に行ったところ、それでは町内を回って、理由を話してカンパを貰って、それを元手に何か始めろと言う。
それで最初に行ったのがケチで有名な質屋の徳力屋。恵んでくれたのがたったの三文。八五郎が怒ってこれを投げ返したので喧嘩になり、キセルで頭を打たれた八五郎、奉行所に訴えて出る。

表向きは天下の通用金を粗末に扱ったというので八五郎に五貫目の罰金が科されたが、一括ではとても払えないので一日につき一文の分割に。
これを徳力屋が中継して毎日奉行所へ持参せよとの指示。
まともにやると10年間、奉行所に通い続けなければというのでたまらなくなった徳力屋が示談を提案するが、そこで怒った大家さんの啖呵が聞きどころ。

「手前ぇらの頭はそうなってイやがるから碌な事ァ無えんだ。大馬鹿野郎。
確かに、八公は法を曲げた。
法を曲げたから大岡様から課料を食らった仕方が無え。
手前ン所は法を曲げてはいねぇかも知れねェが、人の情に背くからこんな事になるンだ大馬鹿野郎め。えェ?
町内の八公が、こんなやくざが堅気になろうってんだ。
面倒見たって、鷺もカラスも笑わねェだろ。
世話になって無いんじゃねぇんだぞ。手前ぇんところはジジイの代が潰れそうになったところ、どうのこうのって世話になった。
この大馬鹿野郎めそれを、よしんばなってるなってねぇのは別としてもだぞ、
手前んところの財産でそれだけの物を遣ったって、
どれだけのものが無くなるってンだ。何ォ吐かしやがるんでぃ。いいか?
銭は使ってはじめて銭なんだ。置いといたって銭でも何でも無ェんだ。
それ持ってどうやって死ぬんだ? あァ?
あの世へどうやって持ってくんだ。
いくら銭があったって人間ってのはいっぺんに一斗の飯は食えねぇ。
いくら広い屋敷に住んだって百畳の座敷に一人で寝らんねェんだこの野郎。
何だと思ってやがる?
クソを喰らって西ィ飛べ畜生!」

勢いがついてくるに従って、たんなる大家のセリフじゃない、談志自身の正義感、人生観が乗り移ったかのように聞こえてくるのが不思議。胸が熱くなる啖呵です。
グイグイと盛り上がって、談志お気に入りの文句「クソを喰らって西へ飛べ」が飛び出すのは、まさに圧巻。

へっつい幽霊

古道具屋に、幽霊が出ると噂のへっついがある。
悪い噂が広がって商売にならないので、金を払って貰い手を探していたところ、名乗りを上げたのがゴロツキの熊五郎。
果たして夜中になって現れた幽霊。まったくビビらない熊五郎が話を聞いてみると、へっついに金を塗り込んで隠したまま死んでしまったので、金を取り出して返して欲しいと言う。

「そうかい。よし。話は分かった。
ヨシヨシよく分かった話は。
だけどね、ここで幽ちゃんお前と俺との掛け合いになるんだけどね?
この銭はお前ぇの物かもしれねェが、俺が有るからこの娑婆へ出てきたンだよ。
お前だって手付かずそっくり持ってこうってんじゃ無ェだろうなオイ」
「・・・あーそうですか
じゃいくらかコレはじこうってんスか?
どのぐらいですか?」
「どのぐらいったってェしゃァ無えじゃないかナァ
こうなりゃ男らしくスパーンとしてな、
お前えが百五十両、俺が百五十両
ポーンと割った縦ん棒なんてのが相場じゃねぇかい?」
「・・・そりゃひどいよィ
そりゃ非道いよそりゃァあなた!
お礼なんてのは五分か一割って決まってるじゃないですか。
そりゃァ非道いよ!」
「嫌かい? 嫌なの!?
嫌なら止せ。嫌ならいいんだよ。
こっちは欲しいそっちで呉れねぇんじゃどうしようも無え話ンならねぇ。
んならお前出るとこ出て話付けようじゃねぇか」
「無理な事言っちゃァ・・・
出る所なんぞ出られやしませんよコッチは」

ゴロツキの熊さんですが、談志のバージョンでは、タチの悪い因縁を付けるのではなく、自分も虫のいい事は言わないし、相手にも言わせない、あくまでフェアな提案というニュアンスが現れているのが特徴。

怖いけど慕われる上司のような、一本筋の通った気持ち良さが、実にいい味わいです。

まとめ

立川談志の魅力は、軽快さと「俺理論」

若い頃の威勢の良さを味わいたい人は「五貫裁き」「へっつい幽霊」、晩年の好き勝手・イリュージョンを味わいたい人は「源平盛衰記」を、聞いてください。

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