太宰治『お伽草子』

太宰といえば、絶望しっぱなしの限りなく暗い人、
と思われているきらいがあるが、大きな間違い。

太宰の文学活動は大きく3期に分けることができて、
「夏までに死のうと思っていた」でデビューする、やぶれかぶれの前期、
私生活も充実し、作家としての評価も得て、教科書のように前向きな中期、
ふたたび生きることにあきらめを覚え、「恥の多い生涯を送ってきました」となる後期。

要は、前期・後期は暗いけれど、中期は明るいんだよ、ということ。
『走れメロス』なんかも中期だしね。
また、いつの時期もユーモアのセンスは抜群で、
滑稽小説よりも、ギャグ漫画よりも笑える作家というのもまた、太宰なのです。

そんな太宰の中期作品群の中で、最も笑えて、そして最も奥深いのがこの
『お伽草子』なのだ。

内容は、こぶ取り爺さん、浦島太郎、カチカチ山、舌切り雀という
4つの昔話をユーモアたっぷりにアレンジしながら、
「この話の教訓は何だったのか」という核心についても触れようと試みるもの。

乙姫は、浦島太郎に玉手箱を持たせて、何がしたかったのか?
お婆さんに怪我をさせた狸に対する兎の仕返しは、度を越してないか?
いじわるな隣の爺さんは、踊りが下手だっただけで悪いことをした訳じゃない。
なぜコブが増えてバッドエンドなの?

そんな疑問に対する太宰の答えは、
鮮やかではないが、誠実で、とても味わいがあり、
深く納得させられるものだった。

人情や、人の社会の機微に、あっさりながらも非常に鋭く触れていて、
人間ってのは、しょうがないものだ、
世の中ってのは、不合理なものだ、
というあきらめを抱きながらも、それを含めて生きることを愛する視点が
ひそかに存在している。

ぬるくなったコーヒーをちびりちびりとすすりながら、
一行一行の余韻までゆっくり味わいたい。

次に読むべきは・・・

歴史は繰り返す。
太宰をはじめとした近代文学作品を、現代の京都を舞台に再構成した
森見登美彦『新釈走れメロス』

関連記事ユニット



広告