夏目漱石『吾輩は猫である』

立川談志は「落語は人間の業の肯定である」と言ったが、
小説において「人間の業の肯定」を見事に体現している作品がコレダ。

当人は至って真面目でも、端から見るとバカバカしいことを
言ったりやったりしちゃってる人っていますよね。

教師、文学者、科学者、詩人、実業家、主婦、女学生、成金・・・そして猫。

明治の世になって、士農工商に代わる新しい身分秩序が生まれた訳ですが
様々な立場の人々が、それぞれの価値観で
正しいと思うことをやっているのだけれど、
他の立場の人から見ると無意味なことに見えてしょうがない。
あるいは、見方の焦点が同じところに無い。

例えば科学者の「寒月君」は
「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」という、
何が楽しいのか何の意味があるのか、
人にはよく分からない研究をしているが、
正確な実験のためには精度のいいレンズが必要だと言って、
とりあえずはひたすらガラス玉を磨いている。
で、寒月君に娘を嫁にやろうと考えている金持ちの金田の奥さんは、
その寒月君の研究に対して一言
「で、いつ博士になれますの?」

人間たちですら全くお互いを理解できない時代にあって
そんな人間たちに対しての「他者」の代表たる存在が
本作の語り手の「猫」。
したがって彼にとってあらゆる人間の営みは無意味で悪趣味、
一言で言えば「人間ってバカだなあ」っていうのが本作の主題になる訳ですが、

実際に読んでみれば分かるのだけれど、
本作の文体の基底で鳴っている音は、
「風刺」「皮肉」といった意地の悪いものでは決して無くて、
もっと能天気な、単純に無批判に面白い、温かいコメディなのです。

軽いようで深いテーマがありながら、後味は
「あー面白かった」という、実にあっさりしたものなのです。
ココがエラいところ。

欧化に夢を抱きながら、駆け足で英国を追いかけていた日本人と日本猫の、
無理に背伸びをした姿、それでも残る古臭さ。

様々な立場の登場人物が、真面目に、同時に滑稽に生きる様を、
表面上は冷笑的に(猫の視線)、
しかし実は愛を持って(作者の視線)
描いた仕掛けは、さすが見事と言うほかない。

全編を通して大きな山場はないけれども、
だからこそどこを切り取っても面白い。

一回読み通した後も、とりあえずいつもそばに置いておきたい。
そして思い出したときに番茶でもすすりながら、古くなった文庫本を
パラパラとめくって楽しみたい。

次に読むべきは

漱石の以降の作品は、キチンとしたテーマと起承転結のある作品になっていくので、『猫』のような味わいはあまり期待できない。

有名作だけあって他の作家によるパロディも多いので、そちらを攻めましょう。

漱石の弟子だった内田百間が、真摯に『猫』の正当な続編を目指した
『贋作吾輩は猫である』は、本家に肉迫する出来。

奥泉光による『吾輩は猫である殺人事件』は、
タイトルの出落ち感に始まり、サスペンスから最後はSFへと展開してしまう
「やっちゃった感」がまことにいい味なのだけど、
本家の味わいをキチンと引き継いだ語り口とニヤリとさせるオカズの上質さ、
そして何よりフツーに面白いストーリー。
クオリティが高くて逆にビックリしてしまうという、
いい意味で驚きにあふれた作品。

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